ノウハウコレクターになっていませんか?

人生論

ノウハウコレクターなんて言葉があります。

次々に新しいものを習った手に入れたりして「ノウハウ」ばかりを増やしていく人の事です。
これは往々にしてあまり良い意味には使いません。

ノウハウばかりで肝心の結果に繋がってない人の事を指していたりもします。

この仕事をしているとこういう人によく会います。

自分の人生を良くしたいとか苦しみから抜け出したいと、次々にいろいろなセミナーとかワークやなんとか先生の教えを習ったりし続けている人です。

あと、自分でなにかの仕事をしている人が新しいテクニックを求めたり、自分の仕事と違う分野にまで手を出していったりと次々に何かを習ったり、民間の資格を取ったりし続ける人です。

もちろん、色々なものを知るのは大切なことですし、「知識」は多いほうが有利に決まっています。
人生が上手くいかない人の多くは圧倒的に知識不足だっ有りすることも多くありますからね。

ただ、その必要なことではあるのですが、どこかで「手段」と「目的」が反対になってしまっている人多いのも確かです。

何かに出会って「これこそは」と思って習い始めます。
最初は「凄い」とか「楽しい」ってなり何かが大きく前進したり、今まで解決できなかった事が解決したりしそうに思えたりもします。

実際、そんな「大きな意味」のあるものに出会うことももちろんありますからね。

でも、そんな「凄い」ものがだんだんと「??」ってなって、最初のテンションからだんだんと冷めてきて、あまり得るものが無かったりしてそのまま放置になったりすることって多くあるです。

そして、またしばらくすると「これは!」に出会いますが、結局は同じことの繰り返し。

結果、「ノウハウ」ばかりが増えていき自分の望むものはいまいち手に入っていなかったりして、どんどんさ迷っていきます。

もちろん、どんなことなことでもですが1度何かをチャレンジしたぐらいで自分の人生を望みの方に変えたり苦しみから抜け出したりはしません。

そこにはトライアンドエラーの繰り返しがあるのは確かです。

先程、「人生が上手くいかない人の多くは圧倒的に知識不足」って書きましたが、だいたいこれになっている人は1,2度チャレンジして上手くいかなかったから「もうやり尽くした」みたいに思っている人だったりします。

なので、いろいろと手に入れることは必要なことではあります。

では、なぜ「ノウハウコレクター」って呼ばれるような目的と手段が反対になっている人になるのでしょうか?

こういう人っていろいろ習ったりしていますから、「知識」はやたらと豊富なんですよ。
スピリチュアルとかヒーリングとか占いとか施術とかその分野では僕よりも遥かに「知識」は有ったりします。

でも、その人達は「知ってる」ではありますが「わかる」になっていません。
いえ、「わかる」にはある程度なっていたりしますが、まず「理解する」にはなっていません。

これは、仮にその「何か」を教える側になっていても「理解」ではなく「知ってる」事を教えているに過ぎなかったりします。

いろいろな分野で最終的には「教える」って立場の「ティーチャー」とか「マスター」みたいなのは必ずと言っていいほどあります。
でも、その立場になっていていても「知ってる」から「教えている」だったりするんです。

もちろん、ティーチャーとかになった時は「知ってる」か「わかってる」程度だったりする時もありますが、その立場をしているうちに「理解している」にならないといけないんですね。

これはもちろんですが、別段そのティーチャー的な立場にならなくてもそうなんです。

いろいろなものを知ることは重要です。
その中には習っては見たがさほど必要がないと感じるものもあるとは思いますから、「取捨選択」は必要ではあります。

でも、「ノウハウコレクター」になる理由は、どれ一つ「理解」のレベルにしていないからです。

例えるなら、野球に興味があって習い始めました。

ルールを覚え一通りの技術などを教わりました。
それで、「習った」のだから完了してしまい、そのうちやらなくなり今度はサッカーを習い始め・・・同じことに繰り返しです。
そして「今度こそは」!」とテニスを習い始め・・以下同文。

最初の野球のときに、大谷翔平になれとは言いませんが高校野球のレギュラーになれるぐらいできていたら、次のサッカーも体の筋力や体幹、持久力、体の使い方、重心の移動、運動神経、反射神経などある程度ついているからサッカーへの「理解」が違ってくるはずです。

それを繰り返しているからこそ、何かにであって習った時に本当の面白さが理解できたりします。

それと似ています。
どれも、「知ってる」レベルばかりでその先がないからどんな物を習ってもゼロが1になるだけで、1が2に2が3になったりかないんですよ。

なんでも、そうなんですがスピリチュアルでも占いでも心理学でも施術でもヒーリングでも、根幹の部分には共通の「真理」のようなものがあったりします。

そして、自分自身がそこにある程度は気づいていないと理解が進まない領域があるんですよ。

それは「知ってる」では決して無理です。

では、「理解している」って状態はどんな状態かと言うとですね。

それは「自分なりの解釈を持っている状態」です。

教えてくれる先生の解釈でも本や動画に出てくる解釈でもなくて「自分の答え」みたいなもです。

習った何かを他人から聞かれた時に、知っていること言うのも必要ですが、「それがどうしてそうなるのか」「それがなんなのか」「どう役に立つのか」「そこにはどんな意味があるのか」そんな事を「ノウハウ」ではなく語れるようになっている状態です。

それは自分の解釈だし自分の理論なんです。

人生がある程度以上に上手くいっいたり理解をできている人は「自分の理論」になっているんです。

確かに、その理論の中には本や動画、◯◯先生のお話の知識も入っていますが、それらを覚えそのそのまま喋っているのではなくて、理解した上で自分の解釈にしているって事が必要なんです。

そしていると、別のものを習ったときにもその理解の仕方が違ってきます。

ノウハウは手段でしか無いんですよ。
目的は自分の理論を作ることで、それは自分の世界を作ることです。

そこに気づくために多くのノウハウを見る必要があるってことなんですね。

「自分の解釈」

「自分の理論」

作ってみたらいいと思いますよ。

それではこれで終わります。

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