悩みを持っている人なら、一度は「愛」とか「感謝」が必要だって言うような話を聞いたことがあると思います。もちろん、「悪いこと」ではないと思いますし必要でもあります。
ただ、こう言う話をする人ってこれが目的になっています。もっと具体的に言えば「愛とか感謝」って「ありがとうを言う」みたいな事ですよ。
僕的に言うとそんな事で解決する悩みは、もともとがたいした悩みでもないって事です。
根本的に間違っているんですよ、「愛とか感謝」なんてね。
先日、ある相談者の人とお話をしていたのですが、その方はいま大きな問題に直面しているんですね。
それにはこの方の家族が大きく関わっています。
そして、それを解決しようと相談者さんの親類も手伝っているんですね。
その中に、名前は伏せておきますがよく聞く「幸せの為に」的な事をやっているノウハウを使って悩みの解決をされている人がいました。
相談者さんが僕の所に最初に相談に来られてすぐ後に、その方のお話を聞いたようで僕にも「◯◯◯ってどうなんですかね?△△が重要だって言われたんですが」って聞いてこられました。
僕的にはあまり役に立つようには感じなかったんですが・・・まあ、親戚にもあたるようなので僕の意見は言いましたが、解決するなら別に方法はなんでもいいので「やめろ」とは言わなかったんですね。
その後、相談者さんは何度かその方にお話を聞いて、今回の問題の一番の当事者の相談者のご家族に会ったんだそうです。
結果は、その親戚の方は最初は調子よく喋っておられたそうですが、その問題のご家族さんは思ったような反応がなく最後はその親戚の方は何も言えなくなって固まっていたんだそうです。
この親戚の方は、そのよく聞くノウハウだけでなく「愛と感謝」だと凄く言っておられたんですね。
それを相手に伝えればどんな問題も解決するんだって・・・・
みなさんはどう思います?
これを読んでいるのでしたら、何かしらの悩みや問題があるんだと思いますが「愛」と「感謝」でそれをできれば全て解決って・・・・どうですか?
僕が最初にこの人のことを聞いた時に、その「愛と感謝を」って話が出てきた時点で「無理でしょ」って思ったんですね。この相談者さんのご家族の問題ってそんな事で解決するレベルの事じゃないんですよ。
それに「愛」とか「感謝」って言うのは「すること」とか「言葉にする」って事が目的じゃなくて、「そう思えるようになる」が本来の目的で「それをすれば」どうにかなるものではないんです。
ところが、スピ系の人とか占い師とかカウンセラーの多くがすぐに愛だの感謝だの言い出します。
繰り返しますが、これは「それをする」のが目的ではなくて、自然とそう思えるようになってそんな事をいちいち口にして言わなくても勝手に「そうなってる」ってのが本来は必要なことです。
だから、「愛」とか「感謝」って解いている人って僕はいまいち「問題の解決」とか「悩みを無くす」「人生を楽しくする」って事に関して言えば信用できません。
なぜなら、それらは人生が良くなれば人は当たり前にするからです。
例えるなら、何日も食べ物を食べたない人がいてその人の問題は「空腹」です。
それを解決するのに「食べ方」を教えているようなものです。もっと言うなら「食べ物が出てきたら食べるんだよ」って教えているようなものです。
そんなもの、食べ物を用意してあげたら勝手に食べますよ。
「ありがとう」って言うのも、「ありがとうを言うと人生がよくなる」みたいな事を言う人がいますが、そうじゃなくて「ありがとうと言える人生」になればよいのです。
言葉だけで「ありがとう」ということで変わるような人生はもともとが困ってもいないし、ぬるいんですよ。
だから、こういう事を言っている占い師とかカウンセラー、スピリチュアリスト、コーチとかその類の人はその人自身が本当の意味で困った事がないんです。
なので、さっきの僕の相談者さんのご家族のところに話に言った「親戚の人」と言うのは、その問題のご家族の前で何も出来ずに固まってしまったんです。
今までウサギを倒して最強と言ってたら、トラが出てきて何も通用しなかったみたいな話です。
本当に悩んでいる人に必要なことは「ありがとう」と言えない「何か」をみつけて解決してあげることなんです。
それさえ消えれば人は自然と感謝をしますし「ありがとう」が言えるようになるんです。
繰り返しますが、「ありがとう」を言ったから人生がよくなるのではなくて、「人生がよくなった」から「ありがとう」を言えるんですよ。
じゃあ、その何かっていうのは、多くの場合は「怒り」「憎しみ」「妬み」「悲しみ」「恐れ」などです。
この愛だの感謝だの言う人ってこれらを「無視」しようとします。
「悪いものだから手放せ」ってね。
善か悪かって言われれば「悪」なのかもしれませんが、でもそれも自分の中にあるものなんですよ。
そもそも「愛」って本質的には「ありのままの受け入れ」です。
だったら、その「悪」も「ありのままに受け入れる」でないといけないはずです。
人の心って「層」になっているんですよ。
その層を上から見ているようなものなんです。
そしてその層の一番上には、先程の「怒り」「憎しみ」「妬み」「悲しみ」「恐れ」などがあるんです。
それらの下に、「喜び」とか「自愛」とか「楽しみ」とか「感謝」なんかがあるんですね。
だから、上から見ている以上は怒りや悲しみなどの負の感情ばかりが見えちゃうんです。
なのに、それは無視して「喜び」とか「感謝」を見ろって言われても、それは「見えているフリ」しかできません。
そんな嘘をついても心には通用しないどころか、親に無視され続けた子供が癇癪を起こしたり問題行動をしたり病気になったりするように自分に都合の悪い悩みごとを引き寄せ続けます。
泣いている子供に「泣くのは悪いことだ」「さあ、笑えばいい」「楽しい事を考えるんだ」って言ってもダメでしょ。
まずは、泣いている事を受け入れてあげて理由を聞いてあげないと。
怒りがあるなら、それは受け入れればいいのです。
それは悪いわけでも弱いわけでもありません。
「そう思う理由」があるだけです。
自分は何に対して怒っているのか?悲しんでいるのか?何に恐れているのか?
そこにフォーカスしていくんです。
そして、大概はそれらは「過去」の出来事から来ている事です。
もしも、それが「現在」にあるのならそれはまずは物理的に排除する事にエネルギーを使うべきで、心の事をどうこう言うのはその後です。
ただ、その「現在」にあると思っている怒りとか悲しも多くの場合は、過去の何かを再現しているだけの事が多いんです。
例えば、誰かに怒りを感じるのはそれは自分の過去に起こった何かが解決していないから、その誰かは過去の精算されていない残された感情を呼び起こすトリガーでしか無かったりするんです。
そこに本当に解決すべきことが隠れていたりしますし、それは言い換えれば幸せになるには必要なことだったりするんです。
それ無くして、愛とか感謝とかってのは本当に気づかないといけないことを気づかずにいるだけです。
愛とか感謝って言えば聞こえがいいし、ゴールとしては間違ってもいないので惑わされやすいのですが、それらは自分が本当に幸せって思えていたら勝手にします。
て言うことはですね。
それをわざわざ「しよう」って思わないとできない人は本当の意味での「幸せ」ではないんですよ。せいぜい「困ってない」だけの人だったりします。
それではこれで終わります。