先生に従うだけでいい?他人の教えで自分を失わないための心得

カウンセラー

このブログを読まれているということは、他のブログだけでなく動画とか本とか時にはセミナーのようなものに出たりして自分を良くするとか自分の人生を変えるようなものを探しているのだと思います。

そんな時に、そのブログや本を書いたり動画やセミナーで話している人で「この人の話はいいな」みたいな人に出会って、その人に直接、いろいろな事を教わったりする機会もあるのではないかと思います。

他にも紹介とかでセミナーや講座のようなものをしていたり、僕のようにカウンセリングとか占いなどの相談を受ける人などにもいろいろと教わったりすることもあると思います。

こういう「誰か」から教わる助けられるって事は人生を良くするうえでは何度も起こることで、これなしに人生を良くした人も大きな悩みから脱出した人も成功した人もいないんだと思います。

ただ、僕が受ける相談の中でたまにあるのが、そういった「誰か」に教わったり指導を受けたりした人が「最初はよかったんだけど、今はむしろ苦しくなってる」って人がいるんです。

これけっこう起こっていることなんじゃないですかね?

何故こんなことは起こるんでしょうか?

理由は大まかに2つあるんです。

一つはその教わる「誰か」がエゴの暴走を起こしている場合。

もう一つは、どんなに優れた教えでも何でもですが「教えられた通り」にしているのでは、人生はよくならなくて段々と苦しくなってしまうからなんです。

順番に解説していきましょう。

まずは、「エゴの暴走」です。
これは、昔、カウンセラーの友人が言っていた言い方です。

カウンセラー、コーチ、占い師、先生、インフルエンサー、講師・・・言い方は何でもいいのですが、何かを教える側の「誰か」って教えているうちにこのエゴの暴走を起こす時があります。

エゴの暴走とは、「自分が正しい」が強くなりすぎてしまってい、「自分が絶対」になっている状態です。
これ僕がセッションで使うオリジナルの人の持って生まれた素質をみる「パーソナル心理学」で「そうなりやすい素質」ってのがあるんですが、素質は関係なくなる人もいます。

これの状態になる理由って、やはり「先生、先生」って呼ばれて相手から「凄い」とか言われたりもして、そして基本的には常に「教える」という側に立ち続けているのでまるで「自分が全ての完璧な正解」を得ているように勘違いを始めるんです。

この状態になっている事が多いのが「学校の先生」です。

もちろん、子供のために一生懸命に頑張っておられる先生も多いんですが・・・
僕は昔、電気工事の仕事をしたいたんです。その時に工事関係の仕事の人達の中で「嫌な客の職業」って言うのは全て「先生」と呼ばれる立場の人なんですね。

「政治家」

「医者」

「学校の先生」

この中でも学校の先生ってダントツで工事する人からは嫌われていたんですよ。

政治家も医者も「横柄」ってことで嫌われていることが多いんですが、学校の先生は横柄というより「私が正しい」で嫌われているんですよ。

僕が電気工事をしていた時も、何度かあったのは配線の仕方とか工事のやり方とかを指示してくる人がけっこういたんです。

施主ですから、「ここに照明具をつけてくれ」とか「ここは配線は通さないでくれ」とかって言うのはもちろんぜんぜん構わないんですが、技術的なことややり方ににまで口を挟んできてこちらが「それはできないですね」とか「そうじゃないですね」と言っても、「自分の方が詳しい」って思い込んでいるんですよ。

もちろんそんな人は電気工事なんて実際にはしたことはありません。

まともに知識すらないんです。

でも、「自分が正しい」と言うのが前提にあるから、どんな分野だろうが自分の専門でなかろうが「自分が正しい」になっているんですね。

これ「その分野に詳しいから」そうなっているのとは少し違うんですよ。

「自分は正しい存在」って大前提になっちゃってるんですよ。

だから、まったくの専門外のことでも口を挟んだり場合によっては「教えようと」してきたりします。

これが、起こっている相手から教わると、その人の考え以外の事は全てが否定されてしまうし、もし違う考えを持ってるとその違う考えを正すことが「相手のため」みたいな大きな勘違をされてしまいます。

これは、2つ目の「教えられた通りでは~」につながるんでんですが、最初のきっかけになった部分は「相談する側」にとっても正しいことだったり必要なことだったんです。

でも、それ以外はその人にとっては必要ないことだったり、その人には違う方が正しかったりだのにエゴの暴走を起こしている人はそれを許しません。

そして、自分のエゴに相手を取り込もうとしてきます。

すると、最初は助けられているからその自分とは本来は違うものの方が正しくて、自分が間違っているのかと思い始めてしまいます。

結果的には「違う血液」を輸血されているような状態になって拒絶反応を起こしてしまうんですね。

でも、やっぱり「最初は」良かったわけですから、「自分が間違い?」「ここを我慢しなければ」とか思ってその考えを受け入れたり実行しようとしたりしてどんどん苦しくなるんですね。

僕が相談を受けて見てきた人で多かったのは、「素質の全く違う相手」から教わっている場合が多かったですね。

素質が違うとモチベーションも価値観も違いますし、行動のスピードとか物事の考え方とかいろいろと違うんです。

たまたま、最初の悩みや困ったことは正解(その人にとっての)を教わっただけで、あとの事はぜんぜん合わなかったりします。

よくもう一つのパーソナル心理学のブログなどで書きますが、どんな成功者だろうとコーチだろうと先生だろうと偉人だろうと、その人の教えとか名言って結局は自分の素質に合ったことを素質の通りの事を言っているだけなんです。

もちろん、そこには教えられることも多くはあるんですが、その言ってる通りにできるかは「素質次第」なんですね。

言い換えれば、素質が大きく違う相手の教えはその本質的な意味に関しては得るものはありますが、その言ってることをやっても苦しむだけだったりするんですよ。

そして、2つ目の理由の「教えられた通りにしても人生はよくならない」につながるんですが、人生を良くするとか自分らしく生きるって事は結局は「自分のオリジナルになる」ってことなんですよ。

誰かって先生の教えをまるまるコピーしても良くならなくて苦しむだけです。

それはどんなに偉大な相手でもです。

だったら、僕の言う「素質」が同じ人の教えならよいのかというと、それはとても自分には合っているでしょうし、それならわりとやりやすかったりします。

ただ、「方向性」はそれでいいのですが、最後には「オリジナル」になる必要はあるんです。

例えるなら、陸上競技をする時「どの競技」をするかの方向性には「素質」がとっても重要ですが、その競技でのスタイルはその人のオリジナルになるみたいな感じです。

ある程度の方向性とかカテゴリーみたいなのは「素質」で決まるんですが、最終的には人が幸せと感じられる人生になるには「自分だけの法則」みたいなのが必要になってくるんですよ。

だから、どんな凄い人が自分のコーチやメンターでも黙って真似したり考えなしにそのまま実行しても、一瞬は上手くいくかもしれませんがだんだん苦しくなってうまくいかなくなるんです。

と言うことはですね。

エゴの暴走を起こして「俺が正しい」ってなっている人って誰に対しても正しくないって事になるんですよ。

最初の方で「うまくいった」「助けられた」ってのは10のうちの1がたまたま自分にも正しかったってだけで、残りの9は違っているってことなんです。

でも、この1の正しかったって事でどんどん取り込まれてしまっている人って結構いるんですね。

そして、実はそのエゴの暴走をしている人の「俺が正しい」って、そもそもその「俺」にも正しくはないんですね。
何故かって言うと基本的に人って他人に対してする行動って、自分自身に向かってしている行動とか考えなんです。

自分の正しいと違うものを否定するのは、それは自分も根底では否定していてどこかから持ってきた「正しい」で上書きを無理やりしているだけだったりします。

本来、さっき書いた「自分だけの法則」って状態になっているのって、言葉を変えれば「自分を受容している」って状態なんです。

他人に向けることが自分に向けていることだとしたら、「受容」ならば自分と違うものも「受容」するはずです。否定するってことはどこかで本質的な自分を否定してそれも「正しい」で上書きしているからです。

「自分だけの法則」って作るのはすごく難しそうに思う人も多いんですが、これってけっきょくは自分の本質を客観的に理解して、そこにいろいろな世の中にある「やり方」とか「ノウハウ」をうまく組み合わせていくってことなんです。

そしてその本質って部分って、僕のパーソナル心理学である程度は方向性はわかりますが最終的には感覚的に言えば「心地良い」って状態を選択していることになるんです。

エゴの暴走をしている人から教わったりすると苦しくなるのは、この「心地良い」をどんどん奪われてしまうからなんですね。そして、エゴの暴走をしている人がそれを奪うのは自分も自分に向かってエゴの暴走をしていて心地よくなくなっているからです。

あるのは「先生」と言われて虚栄心や承認欲求がくすぐらえているだけです。

最初にも書きましたが、人からいろいろな事を学んだり吸収するのはとても大切だし、それなしに人生はうまくはいきませんが、それは自分に必要な部分だけを「いいとこ取り」すればいいんです。

そして自分にあったカスタマイズされた「自分だけの法則」にしていくことが、人生をよくする方法なんですね。

だから、「先生」とか「コーチ」とかそんな類のもので苦しいと感じるならそれは「もう必要がない」ので離れてもあなたの人生はダメになったりはしませんよ。

それではこれで終わります。

コメント

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