普通の人が好きなことを仕事にできた実際のお話

人生論

僕はいま好きなことを仕事にしています。

そしてセッションでの相談を受けるときも「好きなことをする」「好きなことを仕事にする」って話をよくします。

この「好きなことをする」っていうのは実は仕事や生き方だけでなく、恋愛や結婚とか子育てなどを良くするのにもつながっているんですね。

でも、多くの人がこの「好きなこと」を見つけれていないのも確かだったり、そもそもそんな考えすらできていない人も多くいます。

好きなこともわからないんだからそれを仕事にとなると更に少なくなるんですね。

では、僕はどうやって好きなことを仕事にするって生き方ができたのでしょうか?

僕がそうなっていったプロセスをお話していこうと思います。
ただ、誤解してほしくないのはこれは「本」になっているような、成功者の物語とかではなく誰にでもできる「普通」の人間の「好きなことを仕事にする」ってお話です。

まず、この「好きなこと」と言うのは誰にでもあります。
今はそんな事はまったく思いつかないって人も過去にはチャレンジしたけど挫折して「そんな事は無理」と思っている人も必ずあるんです。

そして僕はそれは最後には仕事にできるだと思っています。
僕は仕事柄、人と人の「縁」と言うのを信じていますし、とても大切なものだと思っています。

その縁での「出会い」っていうのは、その人の人生を左右したりすることがあって僕も過去を振り返ってみると「あの人に出会わなかったら」とか「あの話を聞けなかったら」とかって事はいくつかあるんです。

なので、僕が「好きなことを仕事にする」って事を中心に語ってそれが誰にでもできると思っていて、そんな僕にこうやってブログという形でも出会う人っていうのは、その「好きなことを仕事に」ができるからこそこうやって出会っているんだと、そういう縁なんだって思っているんですね。

そして、そこには特別な才能なんて必要ないんだと思うんですね。

多くの人が勘違いしていることの一つが、この好きなことをするとかそれを仕事にするっていうのは、どこかでその事に気がついたり出会ったりしてそこから一直線にそれを叶えていくって言うのはほとんどに人には当てはまりません。

これを読んでいる人ではおそらく100%当てはまらないと思います。

でも、世の中の「成功」した人たちの話を聞くと、どこかの時点でそんな出会いがあって衝撃を受けたり、何か価値観が変わったりなどがあって「自分の好きなこと」「自分のやりたいこと」に気がついてそこからはそれに真っしぐらに・・・みたいな話だったりしますよね。

だから、「目標」とかを明確にしてそれを細分化して、「いつまでに」を決めて「うまくいく」って事にコミットして失敗なんて恐れずに突き進んで・・・みたいな・・・

これができるんだとしたら、このブログも僕のお話も必要ないんでもっとIT長者の人たちやインフルエンサー達の本や動画を見られることをおすすめします。

あと「好きなことを仕事に」で話に出てくるのは、スポーツ選手とかの子供の頃から「夢」でしたってやつですね。

これも99%の人には当てはまりません。
このブログを読んでいる時点でたぶん100%あてはまらないと思います。

詳しくは僕のブログのこの記事を読んでもらうとよくわかると思います。
https://michibiki.blog/?p=56

この記事に書いていますが「子供の頃から」とか「若いときから」って目指したものはほとんどが生まれ持った親を含めた「環境」です。

詳しくは先程の記事を読んでもらうとして、「好きなことを仕事にする」っていう「やりたいこと」はある時から見つけてそこを「がむしゃらに目指す」というよりもいろいろな経験や知識が埋まっていった時に初めて見えるもので、その時にはほとんどの必要なスキルとか知識は手に入っていたりします。

前置きが長くなりましたが僕がどうやって好きなことを仕事にしたのかってお話をしていきます。

僕が今の仕事を「やりたい」と思い始めたのは今から20年近く前になります。

と言ってももうすぐ57歳になる僕ですから20年前は37歳です。決して「若い時から」とかましてや「子供の時から」なんて目指してはいないんですね。

それ以前は今みたいな仕事をするなんて考えたこともなかったですし、身内に同じようなことをしていた人もいませんでした。

それまでの僕が一番やってきた仕事は「電気工事」なんです。
今の仕事を始めたときも最初は生活できるだけの収入がありませんから、主な収入は当時、自営でやっていた電気工事だったんです。

電気工事の仕事をしながら今の仕事を始めてその割合を逆転させて最終的には電気工事の仕事は辞めたんですね。完全に電気工事の仕事を辞めたのは忘れもしません2011年3月11日でした。

皆さんおわかりと思いますが、東日本大震災の日です。

これはその日に決めて辞めたのではなくて、当時は9対1ぐらいで今の仕事にシフトしてはいましたがこの日やった電気工事の仕事がたまたま最後だったんですね。

忘れもしません。
お昼すぎに予定していた仕事が終わって家に帰る途中の車の中で聞いていたラジオで東日本大震災の第一報が入ったんです。

この出来事があったから何か思うところがあって電気工事を辞めたわけではないのですが、これ以降は積極的に電気工事の仕事を取りにいこうとしなくなったのは確かですから何かしら無意識に影響はあったもしれません。

積極的に取りにいかなくなったとは言え「辞めます」と宣言したわけではないので、それまで少なくはなっていましたが仕事を出してくれていた取引先から仕事がこなくなったのも何か意味があるのかもしれませんね。

そんな感じで今の仕事に100%移行する形になりましたが、おかげさまで20年近くこの仕事だけで苦しいことも多いですが生活はできています。

今回のお話の「好きなことを仕事に」というタイトルだと、この100%移行した時もですがそもそも最初のスタートの話も重要だと思います。

この最初のスタートは先程の100%移行した時から3年ほど遡ります。

その時は先ほどお話ししたように電気工事を自営でやっていました。

では、その建築業と言う占い師やカウンセラーとは全く関係のないところから今の仕事になったのかと言うと更に5年ほど遡らないといけません。

当時はある電気工事の会社に勤めていたのですが、そこの会社の社長が急死していろいろな事情で個人で電気工事をせざるを得なくなっていたんです。

やりたくてやったわけではなくせざるを得なくなった感じですが、その気になれば他の電気工事の会社とかにも転職できたと思いますので「自営」を結果的には選んだのだと思います。

何の準備もなく始めたんですが、その業界に長かったので先輩の電気工事の仕事の人達にも助けられそれなりに仕事も手に入り、数カ月後には前職の会社で取引のあった誰でも名前をしている超大手の企業から直接取引したいって申し出もありかなり順調に自営をできていました。

それとほぼ同時に別の仕事の話も舞い込んできました。
自営になって縛りがなくなっていたのと、その話はむしろ当時、電気工事を手伝ってくれていた同世代の友人がかなり乗り気でそこに引っ張られ形でその仕事にも関わるようになったんです。

新たに始めた仕事は収入はほあまりなかったんですが、電気工事の方が順調だったので生活には困ることはありませんでした。

この時に始めたもう一つの仕事の中で「組織作り」や「人材育成」「営業」を学ぶ機会があったんです。そしてそれに付随して「成功者」という人にも会う機会ができてきました。

月収で1000万円単位で稼いでいる人たちと会う機会ができてきて、鳥取の田舎で暮らしていた僕には今まで知らなかった世界がどんどん見えてきたんです。

そして同時にそんな人達のようになることが幸せになるための行動なのではと思い出したんですね。

なので、成功哲学とかのセミナーや自己啓発に参加するために都会に行ったりしていました。

当時はインターネットは有ったんですが、今ほど発達していなかったので何か情報を得たり習得するには直に行くしかなかったんです。

そしてそれらには結構な金額のお金を使っていましたが、それも「自己投資」だと思っていたんですね。
ここで、パーソナル心理学を作るきっかけになるものに出会ったりもしました。

ところが、自営を始めて4年ほどした時に電気工事の最大の取引先だった超大手の企業から突然仕事がもらえなくなったんです。

理由は、他の同業者からの嫌がらせです。
個人で急速に売上を伸ばして、とくにその超大手の企業からの仕事は鳥取の僕の住む地区では9割近くを僕が独占している状態になっていたんです。

これで、一気に収入の柱を失いました。
しばらくは地元の鳥取支社のはからいで仕事はもらえたのですが、それでも10分の1になってしまいました。

今考えると、取引先を余裕のあるうちに増やしていなかったのが一番の問題だったんでしょうね。

電気工事では稼いだお金を生活費以外は自己投資に多くを回していたのもあって、蓄えはあまりなくそこから一気に経済的に苦しくなっていきます。

それと同時に母が脳梗塞で倒れわずかながら入っていた母のパートの収入を失っただけでなく、入院費などの出費が大きく膨らんできました。

いろいろな事が急激に上手くいかなくなり、さらにあり得ないようなトラブルも重なって起こり追い詰められた状態でどんどん精神的にはおかしくなっていっていました。

いろいろな事情で母以外の血の繋がりのある人のいない僕には頼る人もいなくどんどん追い詰められていたんです。

そんな状態だったので、今度は「スピリチュアル」の方にハマっていきます。

これもいろいろなものをやりましたね~

そうしているうちに、仕事の関係で出会った人からある占い師さんを紹介されたんです。

はじめはあまり行く気はなかったんですよ。
占いを信じてないと言うよりも「当てる」という事に何の意味があるかわからなかったんです。

よく「当たる占い師」って言いますが、その時の僕は何かを当てたり未来を言い当てるのではなくて、今のその状況から脱出する方法を教えてほしかったんです。

でも、その知り合いがけっこう強引な人で勝手に話を進めて、なかなか予約が取れない方だったんですがやっと取れたという日が、僕の誕生日だっんです。

「これも何かの縁かな」

そう思って、その占い師さんのところに行ってみました。

すると、僕の持つ「占い」のイメージとは違い、スピリチュアルだけでなく心理学や物理学の話などいろいろなお話を聞け、占いでは「当てる」ではなく今の上手くいかない流れの原因とそこから抜け出すための「改善策」を出してくれたんです。

その話がすごく納得のいく内容だったので、言われたとおりに改善策も行いました。

結果、そこからの1年で大きく状況が変化したんです。

そして、状況が変化していく中で全く違う話からその占い師さんと縁ができるようになりました。

そして、その「改善策」を出せることに興味があったのでその事を伝えると、「じゃあ、この占いの講座を毎週しましょう」って事になりました。

この占い師さんは地元の方ではなく週に2日だけ僕の地元の米子に来られていたんですが、その時に場所を提供していた方がレイキヒーリングというのもやっていました。

そのレイキもあることがきっかけで習うことになり、毎週のようにそのお二人に会うようになっていきました。

そこで占いやレイキだけでなくて、いままでまったく触れたことのない世界のお話や情報を多く知ることになり、その改善策を出す占いも習得していったんです。

ちなみ、この時に10人ほどが占いの講座を受けたのですが、覚えたのは僕一人でした。
理由は、僕に才能があっのではなく当時、本当にお金がなく困っていた僕はその占い師さんが友人たちと占いを使って「ロト」とか「競馬」を当てるのを研究していたのに、占いもほとんど理解していないうちから参加していたんです。

そうしているうちに自然と覚えていったんですね。

レイキもすべてを取るには当然ですがお金がなかったんですが、その占いで研究していた時に10万円ほどナンバーズが当たったりで何故か取れたりとうまく歯車が噛み合った感じで進んでいったんです。

この時に、この占いを学んだのは「自分で占えたら面白いかな」っていう好奇心でした。ロトとかナンバーズを当てるものかなりの目的はありましたが笑

レイキに関しては最初は「人にできない事をできるようになる」って言うのにどこか憧れたのと、たまたま友人の妹が末期癌になったのがきっかけで少しでもやくにたてたらと言う思いでした。

そして、今まで成功したいと願った時に習った心理学や苦しい状況から脱出したくて習ったスピリチュアルの知識がこの人たちとの出会いでいろいろなお話を聞け点がどんどん線になり面になっていきました。

さらに、新たな知識も手に入れる機会も増えていったんです。

そして、この間も当初のパーソナル心理学のきっかけになったものから興味を持った「人の持って生まれた素質」というのも、人にはいくらでも会えたので研究をしていました。

そういう生活が数年続いた時に、ふと「あれ、僕は相談にのったり人の困っていること解決する手伝いをするのが楽しいのじゃないか?」って思い始めたんです。

それまでにも、人材育成や組織作りをしている時にそこで出会った若い子たち(当時の僕は30代でしたから20代の子たちです)の相談相手にもなっていましたから、なんとなくそういうこともしていたんですね。

そして、本格的に「これがやりたいこと」と思えるようになったんです。

そう思った時に自分をみると、すでに占い、オリジナルのパーソナル心理学(当時はまだこの名前でなかったです)、レイキヒーリングそしてスピリチュアルや心理学などの知識など必要なもの大半は揃っていたんですよ。

さらに、自営を始めた時に関わったもう一つの仕事で「人の相談に乗る」とか「人前で喋る」って事をしていましたので、対面で人と話をするってことにはとくに抵抗もなく、すでに電気工事で自営をしていたので新たに「開業」や「確定申告」にも困ることもなかったんです。

なので、まずはその占い師さんに相談しました。
この相談は「これでいいのか」というものですが、一番は仕事内容がこの占い師さんと大きく被ります。なので、僕の地元ですると言う事はお客さんが被るんですね。

だから、その事も含めての相談だったんです。

ですが、その占い師さんは「いずれ、やると思ってたよ。凄く向いていると思う」と言ってくれたんですね。

この時に揃ってなかったのは仕事をする場所でした。

当然ですが、どこかを借りたりましてや買うことはお金がありません。

そこで悩んでいる時に、レイキを教えてくれた方が「藤原さんが慕っている占い師さんってお店なんて持ってないじゃない」と言われて気がついたんです。

確かにこの方は自宅でもされていますが、お店ではなく散らかった自分の部屋の一角でやっていたり別の地域によく行くのですがそこではファミレスだっやり、レイキの方のような場所を提供する人がいたりでやっていたんですね。

当時、僕はワンルームのマンションに住んでいましたが、古いマンションで変わった作りで玄関のところに3畳ほどのスペースがあったんです。

「じゃあ、ここでいいか~」って思って始めることになったんですね。

ですが、当然ですが何のつてもコネもありません。

このレイキを教えてくれた方は、本業の方で地元では有名な方でしたがこの方からの紹介は僕に占いを教えてくれた占い師さんの方にいきます。

なので、ここは頼れません。

どうやってお客さんをみつけたら?

そう考えていたんですが、ここで成功哲学や心理学などを習っていた時の知識が活きます。
その中には当然ですが「商売」をうまくいかせる知識やノウハウもあるんです。

そして、もともとが電気工事で自営をやっていましたから、考え方が「サラリーマン」ではなく「商売人」だったんです。

さらに、僕は「コンピューター」とうものに昔から興味があって、高校も電子科をでていたので高校の時から当時では非常に珍しい「パソコン」を習っていたんです。

どれぐらい珍しいかと言うと、ネットが普及し始めるきっかけになった「Windows95」が発売されるより10年以上前の話なんです。

なので、当然ですが周りでは誰もネットなんてやっていない時代からパソコンを持っていてネットを使っていました。

そこで、今では当たり前にできることですがパソコンを使って自分でチラシを印刷して知り合いのカフェとかに置いてもらいました。

それと同時にホームページを作って「電話での相談」を始めたんですね。

これも今では「電話占い」とか当たり前ですが、当時はまだ殆ど誰もやっていませんでした。
僕の住む山陰は人口が少ないですが、「占い師」と言うのはわりと多くいるんです。

当時も、僕の住む地元には有名な方がおられましたから、少ない人口のところで戦っても勝てないし時間がかかると思ったんですね。

こういうことを思いつくのも、「成功」というものを習ってきていたからだと思うんですよ。

そして、ネツトとパソコンを使ってこれもまだ珍しかったブログというものを書き始めました。

そうしているうちに、地元では有名な地域の情報を発信しているサイトの営業の方から連絡が来たんです。この方どうやら僕が自分で作ってカフェに置かしてもらっていたチラシをみて連絡をされたんだそうです。

このサイトではその当時は「占い」とか「カウンセリング」というジャンルは扱っていなかったんだそうですが、たまたま見た僕のチラシに興味を持ってくれ載せてくれることになったんですね。

このサイトには今では当たり前に「占い、カウンセリグ」というカテゴリーがありますが、当時はなかったので「暮らし、相談」の中に入っていました。

このサイトには「ニュース」と言う機能があるんですが、これは他のお店では「本日は◯◯は2割引」とか「◯◯日はサービスデイ」みたいな宣伝を書く場所として使っておられました。
このサイトの方からも「そういう機能」だと聞いていたんですが、文字数の制限がかなりの長文が載せれる設定だったんで書き始めていたブログの内容をそのままコピペで載せていたんです。

その結果、ネット上のブログでは県外の人にこのサイトのブログでは地元の人に広がっていきお客さんが一気に増えたです。

このブログでの戦略やその他、このサイトなどでした事もこれらって「成功したい」っていろいろ学んだ時に得た考え方や知識でした。

そして、そんなお客さん達ですが、仕事柄、どうしても「女性」のお客さんが多くなります。そして同業者である「占い師」の方も女性が多かったんですね。僕が数少ない男性だからからか、ブログ内容が響いたのか、他の占い師さんたちよりも僕は男性客の比率が多かったんですね。

そんな男性客の中には僕よりも年上の会社を経営しているような人なども多くいたんです。そんな人達の相談はやはり「経営」に関してです。
多分、多くのそんな経営者の人は占い師は「今年はうまくいく」とか「この時期に売上が下がる」的な事や、売上が上がらないのは「◯◯の風水が」みたいなことを答えるだろうと、「参考」ていどに考えておられるのだと思います。

もちろん占い師として、そんな事もいいますが僕の占いは「改善策」を出すのが目的なのと、電気工事を自営でしていたときに一時期は「株式会社」にもしていましたから経営とか資金繰りなんて話もできるので経営者の人たちには受けが良いのです。

よくお話することで、どんなに凄い占いができてもどんなに霊能力で見えたとしても「自分が知らないもの」は語ることができません。

だから、僕は占い師とかカウンセラーってその能力だけでなく「知識」とか「人生経験」ってのが人よりも多くないとできないのだと思っているんです。

だから、僕の場合は生まれた環境の大変さなども「必要」な知識になったり、困っている人への共感ができたんだと思います。

こんな感じで「好きなことを仕事に」って事を見つけてそれを20年近くやってきたのですが、これを読んでみてどう感じられました?

ここで一番、伝えたい事は僕はやりたいことを仕事にするために必要な知識も能力も、「やりたいことをしようと思って手に入れてない」ってことです。

やりたい事に必要なことの殆どは、それに気づくまでにさせられたり、しなければならなかったり、好奇心だったりで手に入れているんです

そして、そのやりたいことに気がつくのはそのプロセスが10だとしたら8とか9まで進んだ時に突然、見えてくるんです。

僕もそう思うまでは「占い師」「カウンセラー」「ヒーラー」なんてまったく考えていませんでした。

これは言い換えれば、「本当にやりたいこと」「好きなことを仕事に」は「見つけてから目指す」のではなくて、いろいろな体験や経験をして「材料」が埋まった時に初めてみつけれるものなんです。

そして、それは本当にほぼ全てが揃ってしまうまで気が付かなくてある瞬間に突然、見えてきます。

なので、いま「やりたいことがない」「好きなことがわからない」「好きなことを仕事になんて無理」と思っている人も、本当はもうかなりその材料は埋まっているのかもしれません。

まだ、ぜんぜん埋まってなかったとしても、これから貯めていけばいい事でそれでは年を取ってしまうとしても、それは「その年齢までの経験が必要」って言う材料になるだけなんです。

やらされたこと、やらざるを終えなかったこと、失敗したこともすべては材料です。

ただ、たどり着けなくなる人の特徴は年を取るほどに「楽しい」や「好奇心」の選択を忘れちゃうことなんです。それが足らないからたどり着けてない人も多くいたりするんですね。

そして、それはナンバーワンにもオンリーワンにもなる必要なんてないんですよ。

それではこれで終わります。

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この記事を書いた人
getterlabo

【人生を変えたい人の力になります】占い師&カウンセラー|18年目|鳥取県・米子市|実績は3500名以上|お客様は日本全国・海外にも|人間関係、恋愛、夫婦、仕事、人生に悩む人に言葉を|特別でなくても人生は変えられる|

自分自身なかなか壮絶な半生を送ってきて、悩んで苦しんできました。
生まれの不幸、貧乏、親との夜逃げ、破産・・・大概の事は経験して、成功者になろうと努力して心を病んでしまったりもしました。
苦しくてスピリチュアルや幸せ論も習いましたし占いや霊能者にも頼りました。

そんな中で気がついたのが「自分らしい生きかた」

自分の本質を知ることができ、「それで良いんだ」と思えるようになり人生は変わって行きました。

僕は僕の体験したことや理解した事しか話せませんが、多くの人よりはいろいろなものを見てきたつもりです。
そして僕自身は凄くもないただの普通です。だからこそ、普通の人生の中での悩んで苦しんでいる人に共感して寄り添えると思っています。

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