アリとキリギリスのお話の本当の意味

人生論

小学生の頃に「アリとキリギリス」の童話を学校で聞かされたんですよ。

アリとキリギリスの話はみなさん知ってると思います。

キリギリスは温かい夏に遊んでばかりいて、アリはせっせと働いて冬の準備をしてた。
冬になってキリギリスは食べ物がなくなり困ってしまったけど、アリは夏の準備のお陰で困らなかった。

最後はキリギリスはアリに助けられたってお話でしたよね。

だから、「真面目に働いて準備をしてた方がうまくいくんだ」みたいな教えでいたよね。

ちなみに、確かグリムだかイソップだかの元の話は、最後は「食べ物がある」ってアリがキリギリスを騙して巣に誘い込んでキリギリスを食べちゃうんですよね。
これだと、日本版のように「真面目に将来の準備」ではなくて最後はずる賢いほうが勝つみたいになりますよね。

で~この話を聞かされた小学生の僕ですが~
「ん?キリギスがよくね?だって、遊んでて最後は助けられるよね?」って思ったんですよ。

それを先生に言っいたら叱られたんですけどね笑

でも、この童話?寓話?ってどう思います?

僕ね。
「キリギリスが楽だねとか楽しいそうだよね」って思ったのと同時に、「アリの生き方って嫌だな」って思ったんですよね。

なんか、いかにも真面目で勤勉でそして最後は他人?他虫?まで助けるって素晴らしいやつみたいになっていますが・・・・なんか違和感が・・・

大人になってこの違和感の正体がわかった気がしたんですよ。

この日本版のお話ってこうもとれません?

アリ=真面目で何も考えていない国民。

キリギリス=既得権益者。

だってね。
アリってね。凄く素晴らしい「人格者」のように描かれていますが、「楽しむ」事が一つもないんですよ。キリギリスは夏に楽しんでいましたからね。

真面目に働いて手に入れられた分をキリギリスが取るわけでしょ(アリがあげたんですが)

これって、真面目に働いている国民から税金や社会保障費を巻き上げて自分たちの都合のよいように使ったり、自分たちに有利になる企業にばら撒いたりする政治家と同じじゃないですかね?

アリ=国民
キリギリス=政治家、既得権益者

日本ってこの「既得権益」を持っているやつがやたらと多いんですね。

こういう人達は、働きアリが頑張って働いてくれないと自分の達の懐が潤わないわけですよ。

だから、こうやって「真面目に働くこと」をいいことのように植え付けているんじゃないかって思ってしまうんです。

「働かなくていい」とかって意味じゃないですよ。

多くの人って、年収300万円の人と年収3億円の人って年収3億円の人のほうが多く働いているって思っていたりするんですよ。

これ殆どの場合は年収3億円の方が働く時間も量も少ないです。

どこかで休まずに一生懸命に汗を流しながら、自分を犠牲にしてでも働いている人は素晴らしいって植え付けているように思えるんですよ。

コロナ以降、いろいろな国などで「ベーシックインカム」って考え方が検証されたりしていて、限定的ではあるんですが良い結果が得れたりもしているんです。

確かにまだ国全体での実行とかは問題もあるんですが、これに反対する人って一定数いるんですよ。

財源の問題とかで難しいって言うならまだわかるし、それはやり方を考えればいいわけですが反対の人の理由って「人が働かなくなる」って言うことなんですよ。

こう考える人って日本に多いような気がします。

そうそう、ちなみに「ベーシックインカムってなに?」って人もおられると思うので・・・

chatGPTに「ベーシックインカムを小学生でもわかるように説明して」と聞いてみました。

ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に毎月一定のお金を渡す制度のことです。このお金は、働いているかどうか、年齢、性別などに関係なく、みんな同じ金額をもらいます。

例えば、毎月1万円をもらうとしたら、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなが1万円をもらえるということです。

この制度の目的は、みんなが最低限の生活をできるようにすることです。たとえ仕事がなくても、生活に困らないようにするためのお金を毎月もらえるので、安心して暮らすことができます。

  • みんなが毎月同じ金額のお金をもらえる
  • 働いているかどうかに関係なく、全員がもらえる
  • 最低限の生活を助けるためのお金

ベーシックインカムがあると、例えば仕事を探している間もお金の心配をせずに安心して探せたり、病気やけがで働けなくなったときも安心して生活できます。

こんな感じです。

毎月、一定の金額を国民全員に配り続けるって考え方なんですよ。

これの是非は別にしてこれで「働かなくなる」って考えは、さっき書いた「真面目で汗水たらして」ってのが根底にあるからだと思うんですよね。

もちろん、もらった分を働かなくなる人は一定数いると思いますが、それを言ったら今だってニートは60万人近くいるわけですよ。基本的な生活に対しての金銭的な不安がなくなったり少なくなれば多くの人は、やりたいことや好きなことを仕事にしようと目指せるんじゃないですかね?

それで、もらってる分以上に贅沢や欲しいものがあればその分を頑張って働けばいいわけですよ。

今の状態って「生存欲求」を人質に嫌なことでも無理やり働かされているって側面も多くあると思うんですね。

生存欲求って人質がいなくなったら人は仕事を自由に選び始めます。
すると、人が嫌がる仕事は選んでもらえなくなります。

キリギリスは働きアリがいなくなってもらったら困るわけです。
今は生存欲求と言う人質があるので働きアリになってもらえますが、その人質がいなくなると働いてもらうには給料を上げるしかなくなります。

それではキリギリスの取り分が減ってしまいますよね。

キリギリスにとって、多くの人がやりたいことや好きな事を仕事にしてもらっては困るんですよ。
そして間違ってもキリギリスの側に来てもらったら困るんです。

もちろん、将来のことを考えなくていいとかいい加減に働けばいいとかではないんです。

アリの生き方だって必要なことです。

アリとキリギリスの生き方ってどちらが正しいとか間違いって話ではなくてどちらも必要なんです。

でも、どこかで「アリが正しい」そして「キリギリスでは駄目」って「キリギリスに」刷り込まれているように思えるんですね。

コロナ以降の世界は不景気になりどんどん貧富の差が広がってきています。
僕の仕事だけでなくサービス業をしている知り合いやお客さんが口を揃えて言うのが「コロナで100が20になってコロナが終わって戻るかと思ったら60にしかならない」ということです。

潤っているのはほんの一部だけで、大多数はコロナ前の状態には到底届かないのです。
なので、今年に入ってからの方が倒産した会社は多くなっています。

これはいろいろな理由はあると思いますが、多くの人が「生きることに関係ないこと」にお金を使わなくなってしまったからだと思うんですよ。

人が楽しいことって生きるって事に無駄であればあるほど楽しいんですよ。

それをできなくなってしまったら人は燃料を入れて動いている機械と同じです。
幸せには「安定」は不可欠ですからアリの生き方も必要です。でも、「楽しむ」がなければ本質的には幸せにはなれません。

平均株価はバブルの時を超えているといわれるのに、国民の多くがそんな実感がないのは物価高や先行きの不安、上がらない賃金だけでなくて「楽しむ」に多くの人がお金を使わなくなったことが大きな要因のようにも思います。

バブルの時って庶民も大金持ちになったかってそんな事はなかったんですよ。
確かにボーナスとか今とは比べ物にならなかったですが、だからって大金が誰にでも転がり込んだわけではありません。

むしろ今よりも「大金を持ってる人」のところにお金が集まっていました。
今のほうがはるかに少ない元手で大金を得れます。

でも、みんな楽しんでいました。

アリとキリギリス、みなさんはどちらの生き方をしたいですか?

それでは終わります。

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