人生に必要な価値観

人生論

価値観って人それぞれです。

ただ、人それぞれではありますが「持っておいたほうが良い」って価値観もあります。

以前、「ひろゆき」がこんな事を言っていました。
「お墓は蹴ってもいいのです。あれは石ですから」

確かにお墓は石でできています。
そこに人がいるわけではないですね。

だから、「ただの石」なんだからありがたがったり敬う必要はないって言いたいんでしょうね。

でも、そうですかね?

僕らは「物質世界」に生きていますから、物質という物を理解しておく必要はあります。
お墓は「石」であり、そこには人の「意思」とかは存在しません。

でも、それは「物質としては」って話です。

僕らは物質を単純に「物」とだけ見ているわけではないですよね。

そこには「想い」があるはずです。

言い換えたら、「想い」がなければ物質に価値なんてありません。
石炭もダイヤモンドも「ただの物」であって価値を決めているのは人間です。

ならば、お墓にも「想い」があるはずですから「石」ではあるけど「蹴っていい」わけがありません。

自分が大切にしているものを他人に蹴られたら誰だって、怒るし悲しいと思います。
でも、その物に「想い」のない人にとっては何も感じないかもしれません。

自分が価値を感じられないからと言って、そこには価値がないということにはならないんですね。

相手が価値を感じているものを、自分も同じように価値を感じる必要はないのですがそれに気がつく必要はあるんですね。
そしてこれができない人が意外と多くいるんです。

そしてこれができない人って、自分にとっても必要な本質的な価値に気がつけなくて、表面的な「お金」とか「評価」とか「名誉」なんてものしか見えなくなってしまうんです。

これは別にお金とかが必要ないって意味ではありませんよ。
「お金なんて必要ない」とか言っている人って、大概は親とかから援助でお金に困ったことがないか本当はお金を欲しくてたまらない人かのどちらかですからね。

例えば、うちの嫁さんは絵を描く仕事をしています。

絵を描くって作業って、「絵として描かれたもの」に「金額」が付くのですがその絵を描くまでのプロセスがあるわけです。

何年も絵を描き続けてきた事に費やした自分の時間やお金などです。
ピカソの有名な話で、ピカソが頼まれて30秒で描いた絵に「100万ドル」を請求したって話があります。

これを「たった30秒で100万ドルは高すぎる」と言った人にピカソは「いいえ、30秒ではありません。私は、これまでに30年もの研鑽を積んできました。だから、この絵を描くのにかかった時間は、30年と30秒なのです」と言ったという話があります。

この話は本当にピカソが言ったのかは定かではないんですが、これまでに積み重ねてきた目にはみえないものに価値があるんだって事を言い表しています。

あと、絵の話で言ったら「描く時間」だでけでなくそれを「心の中で創造している」って時間も必要です。

だから、ただ物理的に描いた時間と画材だけでなくそれ以上に遥かに価値があるわけです。
でも、たまに見ているとそれがわかっていない客がいたりするんですよ。

途中まで描かせておいて急に「やっぱりキャンセルします。ここまでにかかった労力分はお支払いします」みたいな人っているんです。

「働いた時間分をお金で払えばそれでいい」って思っている人なんですね。
キャンセルは事情もあるでしょうから仕方がないんですが、そこに見えないものへの価値がわかっていないのでそれに対する気持ちってなかったりします。

しかも、僕も嫁さんも仕事柄、出会う人って「スピリチュアル」な考えの人って多いんですが、そんなスピ系の人でもこれしてくるんですよ。

本来スピリチュアルってその見えないものへの価値を一番わかっていないといけないと思うんですが・・・まあ、多くのふわふわ系のスピの人は見えないのも見えるものもその本質はわかってないですけどね~

「見えないものをわかる私って素晴らしい。見えるものに囚われている人は次元が低い」みたいな・・・・笑

本当は見えないものも見えるものも本質を突き詰めれば「同じ」になるんですけどね。

少し話が逸れました。

ダメなスピ系の人のように目には見えないものばかりを追い求めて現実(物質)を見ないのも問題ですが、目には見えない物を感じ取り気がついたりそこに価値観を見いだせないと「豊か」にはなれないんですね。

そして、それは自分に対してもですが「他人」に対してもです。
その人の収入とか地位とか役職とか容姿とか家柄なんて一つの「目安」にしか過ぎません。

以前、電気工事の仕事をしていた時にそこの町内会に頼まれて電柱に取り付けてある街灯の蛍光管を交換していたら、その電柱の横の家のおばさんが出てきて「あなたのところってこれで3000円も取るの?うちのお父さんに聞いたら『そんな蛍光管なんて500円で買えるだろう」って言ってますよ!」と言われたんですよ。

これ町内会長さんが知り合いだったんで、3000円でも相場からしたらかなり安いんですよ。

確かに蛍光管だけなら500円も出せば買えますが、このおばさんもそのお父さん(たぶん旦那さんの意味)も、僕の技術料とか時間を使っているってのは考えないんですよね。

電柱の街灯の蛍光管の交換って、家の照明の蛍光管を替えるのとはわけが違うんですよ。
街灯が点かなくなったから依頼されているんですが、可能性が一番高いのは蛍光管が寿命で切れているのですが、機器自体の故障もありえますし「自動点滅器」って言う暗くなったら自動で点灯する機器の故障の可能性もあるんです。

これは実際に電柱に登って確かめてみないとわからないので、いちおう自動点滅器は持って登るんです(機器の故障の場合は別途、見積もりです)

そして、蛍光管の交換だけなら必要ないですが電柱に登って作業をするには国家資格が必要です。電柱での作業は同じ電気工事の人でもやったことがない人にはできません(電気工事をする人が全て電柱での作業ができるわけではないんです)。これにはかなりの慣れとかが必要です。

蛍光管の交換には工具はいりませんが、電柱に登るにはそれに必要な工具や装備も必要です。

僕の時間だけでなく経験や資格、工具などもなければできないことです。

そもそも、「500円」と言うならその「お父さん」が自分で登って交換すればいいじゃないですか笑

こういう、「物質」にしか価値がわからない人って一定数いるんですよ。

近年、日本の賃金が低すぎることが問題になっていますが、その問題の原因の一つにこういう「目に見えない部分の価値」にお金を出さない人が多すぎるのもあると思うんです。

皆さんの価値観はどうですか?

これで終わります。

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